Tenrikyo Europe Centre
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永尾育子
いよいよ教祖140年祭まで3カ月を切りました。来年の1月26日には多くの方がおぢばに帰られるでしょう。
おぢばは天理教にとっての聖地です。
おふでさきに
そのとこでせかいぢううのにんけんわ
みなそのぢばではじめかけたで(XVII, 7)
とあります。
おぢばは人類が始まった地点で全人類の原点。そこに親神様はお鎮まりくだされています。
私はこの天理教ヨーロッパ出張所で育ちました。おぢばとフランスは1万キロほど離れています。子供の頃は今のように日本の情報は簡単に手に入らず、気軽に連絡が取れる環境ではありませんでしたので、私にとって日本は少し遠い国でしたが、不思議とおぢばのことは遠く感じたことがありません。それは、おぢばの理をいただいている、このヨーロッパ出張所があったからなのではないかと思います。
この出張所にはヨーロッパ各地だけでなく、日本や様々な世界の地域から人が訪れます。また、フランスは多様な人種の国で、様々な言語、文化や宗教が共存しています。そんな環境の中で幼い頃、私は一つの疑問を持ちました。「天理教では世界一列兄弟や世界たすけと言っているのに、なぜ天理教は日本から広まったのか?」。天理教は日本文化の要素を多く取り入れており、みかぐらうたは日本語です。日本文化のことを知らない方々にはとてもハードルが高いように感じておりました。
その疑問を父に質問したところ、父は「日本にぢばができたのではない、ぢばと言う地点の周りが日本と呼ばれているのだ。親神様は今までもその時と所に応じて教えで導いてくださったが、天理教はそれらを仕上げるための教えなのだ」と答えたのです。
おふでさきに
いままでもどのよなみちもあるけれど
月日おしえんことわないぞや(X, 42)このたびハまたそのゆへのしらん事
なにもしんぢつみなゆてきかす(X, 44)
とあります。
今までも教えと呼ばれるものは広まっており、それらは全てその時々に応じて親神様が教えてくださったもの。そして天理教の教えを受け入れるために最も最適な条件と環境をぢばのまわりの地で整えた後に旬刻限の到来とともに中山みき様を月日のやしろとして親神様が直々に表に現れて、人間世界の真実について説いて聞かしてくださったのです。
この教えは日本から広まった普遍的なものなのです。
父の説明は簡潔でしたが、とても納得がいったことを覚えています。
おぢばを訪れると言うことは親の元を訪れると言うことですから、おぢばに「行く」ではなく、おぢばに「帰る」と言います。そしておぢばに帰ると誰もが「おかえり」と言ってくれるのです。この「おかえり」もおぢばを遠く感じたことがない理由の一つなのだと思います。
天理教では親神様が人間をお造りになられた目的は人間が陽気ぐらしをしているのを共に楽しみたいと思召になられたからだと教えられています。そして、その陽気ぐらしの実現に向かうための道を教祖が口で、文字で、そして自らの行動で示してくださっています。それを「ひながた」と呼びます。そして、その陽気ぐらしができる最も理想的な心になった時には人間は115歳を定命に、病まず、死なず、弱らずに生き続けることができると教えられています。そして、心次第で115歳を超えていつまでも生きられるとも言われております。
現在、世界にはブルーゾーンが5つあります。そのうちの一つが日本の沖縄にあります。ブルーゾーンとは100歳以上の健康で活動的な方が多い地域のことです。長く、そして幸せに暮らしているのです。研究の結果を簡単にまとめますと、体を動かし、栄養バランスがよく「腹八分目」に抑えた食生活、人生に目標をもち、ストレスを抱えすぎず人生をスローダウンし、人との繋がりを大切にし、そして信仰心を持つことがその長寿の秘訣ではないかと言われているそうです。ブルーゾーンの殆どが小さな村で交通もあまり発達していないエリアです。けっして便利とは言えない環境の中であるもので生活し、自然と支え合い、小さな喜びや感謝を日々感じながら過ごしているのではないかと思います。
天理教では「感謝、慎み、たすけあい」という陽気ぐらしのキーワードがあります。ブルーゾーンの皆さんは身体を大切に使い、シンプルな生活をし、日々の小さな幸せに喜びを感じ、助け合っていることで長く、幸せに生きているのです。この暮らしはこの3つのキーワード通りで、教祖に教えられた通り方に通じる部分が大いにあるように感じました。
現代社会はストレス社会と言われています。感謝の気持ちを忘れ、自己中心的な心の使い方をしがちです。陽気ぐらしの3つのキーワードはとても当たり前のように思いますが、普段から意識して生活するのは難しいです。私は今年に入り、トラブルや悪いことが続き、日々のストレスからも余裕がなくなり、不安と不満ばかり募っておりました。そんな時、日記をつけることにしました。必ず喜べたこと、有難いと感じたことを書き記すことにしました。そんな気持ちで一日を振り返るようにしていると、大難を小難、小難を無難にしていただいていること、そして何よりもどんな悪い出来事にも必ずポジティブなこともあることに気付けるようになっていたのです。その殆どが日々の些細なことでした。心が次第に落ち着き、勇めるようになると、自分のことだけでなく、友人や同僚の悩みにもポジティブな面を見つけることができるようになっており、その方々の心も穏やかになっていったのです。
教祖は「水を飲めば水の味がする」と仰いました。教祖はどんな時も何事にも感謝し、沢山のご苦労をいつも勇んで通られたのです。
特別なことが起きない限り日々発見できる喜びは小さなことですが、それこそが大切なのではないかと思います。どんな時も感謝の心を持つことができると、自然と思いやりの心が生まれ、助け合えるのです。それが陽気ぐらしに繋がる道なのだと思います。
140年祭が過ぎても、教祖のひながたを忘れずにこれからも勇んで通りたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。