Tenrikyo Europe Centre

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2026年2月月次祭神殿講話

内子パリ布教所長 松川高明

去る1月26日親里おぢばにおきまして、教祖140年祭が寒さ厳しき中にも好天に恵まれ、勇み心一杯の中でつとめられました。ご存命の教祖にご安心いただき、お喜びいただきたいとの思いを胸に、年祭当日は四方の礼拝場はもとより、神苑一帯は大勢の参拝者で埋め尽くされました。日本国外からも数千名の人々が、またここヨーロッパからも大勢の方が帰参されました。

年祭当日、私は午前7時から始まった朝づとめに参拝し、そのまま祭典が始まる10時30分まで3時間ほど待たせていただきました。北礼拝場の結界前の最前列に運よく座ることができましたので、かぐらづとめのお手をよく見ることができました。

ご承知の方も多いと思いますが、おぢばでつとめられるかぐらづとめのお手は、第一節「あしきをはらうて、、、」の最後の「みこと」の部分のお手が朝夕のおつとめと異なります。くにとこたちのみこと様はお月様の理、をもたりのみこと様はお日様の理、くにさづちのみこと様はつなぐ理、月よみのみこと様は突っ張る理、くもよみのみこと様は押し出す理、かしこねのみこと様は風の理、たいしよく天のみこと様は切る理、をふとのべのみこと様は引き出す理、いざなぎのみこと・いざなみのみこと様は夫婦の理を、というように男女五人ずつの十人のつとめ人衆が、親神様の十全の御守護を、それぞれ異なる手振りに表してつとめられるのであります。たいしよく天のみこと様だけは例外で、21偏のうちの最後の3偏だけ切る理のお手をなさいます。

また、第二節「ちよとはなし、、、」は、「ふうふをこしらへきたるでな」のところで、くにとこたちのみこと、をもたりのみこと、いざなぎのみこと、いざなみのみことだけが、第一節の「みこと」の手を振ります。

第三節は、全員が朝夕のおつとめと同じ手振りですが、回数が違います。3回を三度ではなく、7回を三度の合計21回勤められます。第1節と同じく21回同じお手を繰り返すわけであります。教祖はこの21回というのは3掛ける7であると仰せられたとお聞かせいただきます。3は三つ身につく理、7は何にも言うことない。すなわち、完璧ということで、つまり完璧に身につく回数を繰り返して勤めるということであります。

今回私が座った場所からは、東側のくもよみのみこと様のお手以外はほとんどがよく見えました。

かぐらづとめは、親神様が人間を宿し込まれた元の場所である「ぢば」に、その証拠として据えられたかんろ台を囲んでつとめられます。そのかんろ台を囲んで、十人のつとめ人衆がそれぞれの道具衆の働きを表すかぐら面を付けて、立ったまま踊るのです。つとめ人衆、鳴り物が地方の声に合わせて、一手一つに唱和し踊る姿を間近に拝していると、この世の元初まりの元なる世界へといざなわれていくようで、本当に大きな感動を覚えました。

教祖は、たすけられた喜びにあふれ、教えを求めて慕い寄る人々に、二十余年の歳月をかけて、このおつとめを教えられました。終始一貫、教えどおりにおつとめをつとめるよう、急き込まれました。

そして、ついにはご自分の身の上に障りを見せ、周りの人々におつとめへの心定めを促しながら、百十五歳の定命を二十五年縮めてお姿を隠されたのでした。

教祖は、何ゆえ、それまでにしておつとめを急き込まれたのでしょうか。それは、このおつとめこそ、人間に陽気ぐらしをさせたいという親神様の思いを実現する、究極の手段であるからなのです。

おつとめをつとめることが、どうして人間の陽気ぐらしにつながるのか、これを人々に理解させるために、教祖は「元初まりの話」を教えられました。

この世の元初まりは泥の海でした。親神様は、その様を味気なく思われ、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれました。そして、泥海の中からさまざまな道具となるものを引き寄せて、人間と世界の創造にかかられました。やがて、人間は三度の出直しと八千八度の生まれかわりを繰り返し、現在の姿に近づいてきました。

人間の成長に合わせて、人間をとりまく環境世界も変わってきました。つまり、人間のからだといい、環境といい、人間が陽気ぐらしができるように、徐々に条件を整えられたということです。それは、気の遠くなるような悠久のドラマであります。

親神様のお働きは、創造のときだけではなく、今も私たちの体の中に、そして世界の中にあって、すべての生命を支え続けてくださっています。

私たちは、この元初まりのお話をよく理解することによって、陽気ぐらしという、人間の生きる目的だけではなく、そのためには、どうすればいいかという生き方をも分からせていただけます。

かぐらづとめで表現されるものは、親神様の人間創造の姿であり、まさに陽気ぐらしを具現する姿でもあるのです。

人間は本来、親神様によって陽気ぐらしができるようにつくられています。しかし人間は、自由に使うことを許された心を使い誤り、自分勝手な心づかいをして心にほこりを積み、陽気ぐらしからほど遠い世界に生きるようになってしまいました。

この人間をたすけるために、親神様は教祖のお体に入り込んで、元初まりの真実を明かし、おつとめを教えられたのであります。

教祖は、このかぐらづとめによって、人間創造の不思議な働きを今に現し、ほこりのまみれた私たちの心を、人間創造の時と同じ無垢な心に生まれかわらせてくださるのだとお教えくださいます。

十人のつとめ人衆が、かんろだいを囲んで、それぞれの役割を手振りにあらわすということは、異なる者同士が一手ひとつにたすけ合う姿とも言えます。

一手ひとつとは、みんなが同じことをすることではなく、異なる個性を持った者同士が、補い合い、たすけ合う姿であり、それは調和、ハーモニーです。陽気ぐらしには何よりもこの一手ひとつのたすけ合いが大切なのであります。

争うところには何も生まれません。それぞれの個性を生かし発展させながら、調和させていくことによってはじめて、新しいものが生まれる、創造されるということを、かぐらづとめはあらわしているのです。

人々が、真実に澄み切った心で、勇んでおつとめをつとめるとき、親神様も勇まれ、人間の命のみならず、世の中の治まりから自然の恵みにいたるまで、すべて陽気ぐらしがしやすいようにとご守護くだされるのです。

かぐらづとめを拝するということは、私たちの元を知ることにつながり、また元の親、実の親とお聞かせいただく親神天理王命様の十全の御守護を深く味わわせていただく絶好の機会となります。

このかぐらづとめがつとめられる毎月26日には、おやを慕っておぢばに多くのようぼく・信者が参拝に帰られます。その中にはもう何十年も欠かさず毎月おぢばがえりしている方も大勢いらっしゃいます。東京で会社勤めをしている私の友人も、もう20数年間毎月欠かさず参拝に帰っているそうです。数年前にヨーロッパに赴任している期間中も、何とか仕事の都合をつけて毎月帰っていたそうです。26日という理を本当に重く受け止めているのだなと感心させられました。

私たちは、たとえ直接おぢばに帰ることができなくても、このぢばのよろづたすけの理は世界各地に降り注いでいるので、各地の教会や布教所でつとめられる月次祭に参拝することで、その理を受け取ることができます。ですから、ここヨーロッパ出張所やそれぞれの布教所でつとめられる月次祭に参拝することはとても大切なことなのです。なぜなら、教会や布教所でつとめられる月次祭は、おぢばの「かぐらづとめの理」を受け取ることができる月1回の大切な場であるからです。

ここヨーロッパ出張所では、今から三年前に、この教祖140年祭に向かう三年千日活動の基本方針を打ち出し、また四つの具体的な成人目標を挙げて、これまで年祭活動に取り組んでまいりました。

ここに、今一度、それを振り返ってみたいと思います。

まず、基本方針は、「おやさまのひながたを目標に陽気ぐらしを実践し、その輪を広げよう」です。

そして、成人目標は次の四つであります。

一つは、月次祭に参拝しよう
二つは、家族や知人を誘って参拝しよう
三つは、日々の感謝の気持ちを表そう
四つは、次世代に信仰を伝えよう

また、これらの四つの成人目標に加えて、教祖140年祭までに、月次祭、講社祭参拝者の延べ人数 8000名、初参拝者の実人数 500名、という達成目標を掲げました。

私たちはこれまでそれぞれの立場で、この年祭活動を勇んでつとめてきたことと思います。祭主をつとめられた大亮様は神殿祭文の中で、「全教一手一つに成人の実を挙げたいと仕切って歩んだ三年千日を、ご慈愛にお抱え頂き恙なくお連れ通り頂いたことに御礼を申され、私共を始め、教会長、よふぼく一同は、今日の意義深い日を迎え、教祖の道具衆たる自覚と喜びを心にし、この日を新たな門出として心を引き締めて、たすけ一条の更なる前進をお誓い申し上げます」と奏上されました。

また、祭典に続いて真柱様がご挨拶に立たれ、これまでの年祭活動に対しての感謝の言葉をお述べ下さった後、『稿本天理教教祖伝』第十章「扉ひらいて」を紐解きながら、教祖年祭の元一日に込められた親神様の思召について諄々とお話し下さいました。また、年祭後の新たな歩み出しに際し、今日を持って一つの区切りとなるが、陽気ぐらし世界への道のりを、年祭活動に励んだ三年間の努力の上に立って、三年前に戻ってしまうのではなく、これからも勇んで歩み続けていただきたいと願われました。

私たちは今、次なる塚である教祖150年祭に向けて、新たなる一歩を踏み出したところであります。持ち場立場はそれぞれ異なりますが、同じ目標に向かって、お互いに励まし合いながら、これからも精一杯勇んでつとめさせていただきましょう。

ご清聴、ありがとうございました。

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